2020年6月29日月曜日

入院2日目(6/29)

6/28~6/29の朝にかけて、
少し寝ては起きるを繰り返したため、
熟睡できなかった。
朝5:00ぐらいには目が覚めた。
夜中も同室の方と看護師の話し声や咳などで、目が覚める。

6月29日の朝
右手はグーパーができる。
右足は足首が回せる。
足の指がグーパーできるようになった。

血液検査用に2本、採血をした。

6月29日の朝食は、全部食べられた。
多分、口の麻痺だけでなく、味覚障害があったと思う。
昨日よりもすごく味を感じた。

看護師が代わる代わる来て、
手足のレベルチェックをしていく。
手が上がるかとか、足が上がるかとか、
腕の力・脚の力のチェック。

9:00頃、主治医K出先生が来て、
同様の麻痺のレベルチェックをした後、
「直接家に帰れるかもしれん。歩けるようになるでしょう。」と言った。
直接とは、リハビリ病院に転院せず、総合病院から直接家に帰る事。

作業療法士(主に手のリハビリをする)が来て、
現在の手の動き足の動きを見て、
「午後にまたリハビリをしに行きます。」と言った。

24時間心電図を測る機械を装着する。

言語療法士が来る。
私の脳梗塞が起こった場所が、
言葉の発音とか言葉の認識に関わるところだった、
と教えてもらった。
口の動き、舌の動きは、思ったように動くが、
言葉をしゃべる時、舌が重く明瞭に発音できない。

昼食は全部食べた。美味しかった。

午後、作業療法士が来て、
輪投げの輪を右手で入れる、
マスの目にはまっている円柱のスティックを取り出す、
というリハビリをした。

次に理学療法士が来た。
理学療法士は足のリハビリをする人。
歩けるようにするリハビリをする。
今日は立ってみたりした。

次に身長体重を測った。
立った姿勢で身長と体重を計った。

朝起きてからここまでの間に、
何度も血圧や体温測定に来た。

特にリハビリの前や最中は、何度か血圧を計り、
体位を変えたら血圧がどう変化するかなどを記録していた。

ベッドマットが、薄くて硬めのものに変更になった。
体が動く場合は、硬い方が動きやすいらしい。

16:00 入院して初めて、車椅子でトイレに入った。
排尿後自分でお尻を拭いた。これで便秘の時も大丈夫。
朝から16:00までの間に、オマルで3回排尿した。

6/28は、全く尿意を感じず、オマルを入れてベッドで排尿した。
尿意はなかったが、看護師がいうので頑張って出した。
28日は合計3回、尿が出た。

今日は朝からすごくオナラが出る。昨日は全くなかった。

入院の目標ができた。
①リハビリ
②ブログのネタ用に記録する
③ダイエット

2020年6月28日日曜日

入院1日目(6/28)

 6月28日 9:30
主治医(脳神経内科)があやっち(長女)に話した治療方針の内容。
・血液をサラサラにする薬などを投与しつつリハビリをし、
3~4週間後にリハビリ専門病院に転院する。
・リハビリ専門病院で2~3ヶ月入院して、リハビリを続ける。
救急車を降りて、あやっちと再会したのがこの時。
あやっちに家の事をあれこれ頼んだが、
ろれつが回らず、号泣。
あやっちもつられて泣いた。
顔面も麻痺しており、泣き顔が不細工になり、
あやっちと泣き笑い。

6月28日 12:00
昼食が出た。(朝食は間に合わず無しだった。)
一口ずつしか食べられなかった。
何か舌が受け付けない感じで、
「病院食、こんなに不味かったらダイエットになるなぁ。」
と思った。

6月28日 15:00
夫が来た。私を見て少し安心した様子だった。
「だから健康診断受けろって言ったじゃん。」
正論すぎて反論できず。

6月28日 16:00
何となく右手を動かしたら、人差し指が動いた。
動画を撮って、家族にLINEで送った。
右足の親指も動かしてみたら、布団の中でカサカサ音がしたので、
動いたと思う。


6月28日 18:00
夕食が運ばれてきた。
空腹だったが、二口ずつしか食べられなかった。
病院食が口に合わないのだろうか。

救急車に乗る(6/28)

 6/27
2日前ぐらいから、頭痛があった。
でもそれは薬を飲むほどではない程度だった。

6/27  20:00 
夕食を終え、
ダイニングテーブルに置いているパソコンでYouTubeをだらだらと見たあと、
椅子から立ち上がる時、右半身がものすごく重かった。疲れているのかと思い、
和室で小一時間眠ったら少し楽になったので、
夕食の後片付けをして、シャワーを浴びて、2Fの寝室へ。

何度かトイレに目覚めた。右半身重いままだった。
スマホで調べると、脳梗塞と出る。
朝一で病院へ行こうと思いつつ、うとうとした。

6/28 5:00
尿意で目が覚めるが、体に力が入らず立ち上がれない。
這いずって寝室を出る。ドアノブになかなか手が届かなかった。
2F廊下でもがいていたら、まなっち(次女)が起きてきたので、トイレに座らせてもらう。トイレを出てからは動けなくなり、階段を降りるのは無理と判断し、
まなっちに119番をさせる。住所などをしっかりと伝えていた。
ろれつが回らなくなりつつ、
まなっちに、あやっち(長女)を起こして、私の保険証、診察券、靴、服、財布を用意するように指示をし、
起きたあやっちには、着替えて救急車に同乗するように指示をした。

6/28 5:15
救急車到着。2F廊下と階段の位置の関係で担架では降りられなくて、 
ブルーシートのようなものにつつまれ、体育座りのような格好で階段を降ろされ、
1階で担架に乗せられ、玄関前に停められていた救急車に乗せられました。
あやっちも一緒に救急車に乗りました。
まなっちは1人で留守番なので、玄関の鍵を閉めるようラインして、
とあやっちに頼みました。

6/28 5:50
総合病院に到着。発症時間を何度も確認される。救急車の中でも聞かれた。
吐き気がする中、時間との勝負だな、という医師の声が聞こえた。
レントゲンやMRI 検査をして、点滴を打たれ、
9:00前に脳神経内科の医師(主治医)が来て、脳梗塞と告げられた。
手をグッパーして、と言われたが、右手は全く動かず。右足も全く動かず。
ろれつは回らなくなっていた。
これからの治療方針をご家族に説明してくる、と去って行った。
私は絶望していたが、主治医は飄々としていた。