S子(小中一緒の近所に住んでいた親友)と、
ガストでランチをしました。めっちゃドリンクバーを飲みました。
(しゃべるのに夢中で写真撮り忘れた)
長子長女の生きづらさや私の脳梗塞について、
話を聞いてもらいました。
S子とは頻繁に会えないけど、
話をするとピタッとかみ合う感覚があります。
話を聞いてもらって頭の中が整理出来ました。
以下、脳内で整理した内容です。
最近知った言葉があります。
「治るのは年単位かかる」
「現状(麻痺のある状態)に慣れていきましょう」
この2つを聞いて、
病前の状態になるのは無理なんだと確信しました。
その理由は、↓に。
「治るのは年単位かかる」
脳梗塞になる前から、4歳時の怪我の後遺症で右手に麻痺があります。
①スプーンが持てないところから始まり、(手術直後)
②少し負荷がかかると右手首が痛くなり、(小学生時代)
③漢字をたくさん書く宿題やアルトリコーダーが吹けない、(中学生時代)
④バスケットボールが右手首に当たるとしびれて右腕全体がうごかなくなる、
(高校生時代)
⑤英文タイプが明らかに友人達より遅く、
リハビリのためスーパーのレジ打ちのバイトをした(専門学校時代)
⑥出産して子が0歳時は、毎日右手に負荷がかかり、毎日右手首が痛くなっていた。
この状態は、年単位でみれば、少しずつ改善しています。
怪我から50年経っている現在、左手と同様かというとそうではない。
⑤あたりからは、変化がありません。
この状態は年単位で治っていると言えると思うのですが、
50年経っても、怪我の前の状態にはなっていません。
(4歳だったので怪我の前の状態は覚えていないのですが。)
「現状(麻痺のある状態)に慣れていきましょう」
改善を望むのではなく、麻痺のある状態を受け入れて、
生活をしていきましょうってことだと受け取りました。
結論
この2つより、
「あ、治らないんだ。」と覚悟できました。
完全には治らないと聞いていたけど、
私は治るんじゃないか、という希望を持ってしまっていました。
治るの解釈の違い
私は、病前の状態に完全に戻る事を、”治る”と理解していました。
他人は、発症直後の右半身麻痺の状態に比べて、生活が出来る=治っている、
という解釈をしていると気付きました。
治るの基準が違っているから、
他人に「治って良かったね。」と言われると、モヤモヤする事に気付きました。
生活が出来ているけど、病前と同様には出来ていませんよ~
不自由なだけじゃなく、痛みもありますよ~
今後その痛みが無くなるのか、誰にも分りませんよ~
でもそんな事他人は慮ってくれませんよ~
ってことなんです。
「生活が出来ているならいいじゃない。」って言ってくる人は、
自身が私と同様の状態になっても、そう思えるのかしら?
私が自分に厳しい性格だから、こう考えるのかな?
とはいえ麻痺の改善には著しい進捗があります
自分でも引くほど麻痺症状が改善している自覚があります。
4月初旬より、動作時に起こる痛みが軽減しています。
肩の可動域も広がっていると思います。
だから余計に、何かをすれば=もっとリハビリすれば、
病前の状態に戻るのではないか、
と希望を持ってしまっていました。
リハビリに行けばいいじゃないって思うでしょ?
行けないという事が判明したので、後日のブログで書きます。
因みに、私が入院していたリハビリ病院では、
患者に「完全には治りませんよ。」ということを言わずに、
リハビリをしていました。
完全に治らないと知ると、
リハビリに対するモチベーションが低下するからだそうです。
私はリハビリスタッフの言動から、何かがおかしいと感じ、
リハビリスタッフの上の立場の人に突っ込んで質問し、知ることが出来ました。
身内に患者がいる方、そういう事ですので、
患者本人に教える時は慎重に。
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